家のすぐ近くの裏山にそびえていた木で、
大きくなったので、大雨の時など災害のとき危険だということで切られることになりました。
少し前から「危ないから・・」という話は聞いていたのですが、
今朝は早くから大型車両が来ていて、今日切ることを知りました。
大きなこの木が切られるということで、近所の人は朝から木の周りに集まっていました。
家族いわく、あまりみんな思い入れとかはないとか、危険だから・・とか言っていましたが、
私は木がなくなるのが寂しいです。
私が子どもの頃もらった自分の部屋はこの木の方向を向いていて、
窓を開けるといつもこの木が見えました。
晴れた日は、風に木の葉が揺れて、
木漏れ日がきらきらと揺れているのを窓越しに見るのが好きでした。
雪の日は、モノクロの世界の中、枝にたくさんの雪を乗せ、
静かにたたずんでいました。
雪解けのときは、風で揺れる木の葉に解けた雪と日差しがきらきら乱反射して、
春が来るんだ!という喜びを感じました。
特に木登りをしたわけでもなく、その木で遊んだこともありませんが、
そういった「自然にある自然」がなくなるのは、やはり寂しいです。
そういった何気ない自然に、人は元気をもらったり、何かを感じたりするのだと思います。
例えば、伊根町の4つの小学校には、どの小学校にも近くに川や豊かな用水路があります。
大したことはないようですが、
その川は子どもの心を和ませたり、豊かにしたりしていると思います。
勿論、伊根町ですから周りの山々や海なども。
子どもには、そういった身近な、何でもないような自然に包まれ、
成長していってほしいと思います。
最近は身近なところでも「整備」という言葉で
たくさんの自然が人間の手によって「整え」られています。
勿論、災害対策、鳥獣害対策、交通の利便性など、整備の大切さもよく分かります。
今回の木も、もしかしたら先日の台風でうちの方へ倒れてきていたかもしれないものですし、
そういった「整備」が悪いとは決して思いません。
でも、そういった工事などの事業の度、
蛍の森が崩されたり、不思議がいっぱいだった藪がなくなったりすると、
一抹の寂しさも感じてしまうのです。
複雑ですね。
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