今日、近所の方からお魚をいただきました。
釣りに行ってこられたそうで、大小のガシラがまだはねていました。
私が料理することになったのですが、伊根町に住みながら、今だ魚の料理に慣れません。
勿論上手に料理するのが難しいということもあるのですが、
「命をいただく」ということを直に感じるからかもしれません。
今日、はねているガシラを料理するのが正直つらくて、
ガシラたちに手を合わせ、死んでしまったガシラから順にさばきました。
一緒なのに。
命をいただくということには変わりなく、生きている魚をさばくのはかわいそう、なんて、
なんてエゴなんだろうと思いました。
さっきお鍋に入れた何匹かの煮干しの鯵だって、お昼に食べた冷凍の豚肉だって、
勿論今晩の食材である玉ねぎ、お豆腐、シイタケ、キャベツ、鶏肉、フキ・・
全て尊い命をいただいているというのに。
「そんなことをいちいち言っていては生きていけない」、「考えが青い」・・
そうやって目を背けることは簡単ですが、
そうしていても何度も同じ問いに出会い、繰り返し同じように悩む気がします。
動物と植物の違いについて、
植物は、自分で栄養を作ることができるから、動かなくてもよい。
動物は、自分で自分が生きていくための栄養をつくることができないから、動く必要がある。
そんな言葉を見たことがあります。
動物は、ほかの動植物の命をもらってしか生きていけないという運命を背負って生まれてくるのですね。
夕方、ガシラをさばきました。
鱗を取って、腹(内臓)を出しました。
内臓はいろんな色をしていて、赤、黄、緑、ベージュ、それぞれの形をしていました。
さっきまで生きていたのに、と思うと、ついその身に触れ、ぬくもりを感じようとしていました。
魚なのに、と自嘲してしまいましたが(^^;
日々たくさんの命をいただきながら、自分も命を紡ぎ、命を育てる立場になったわけですが、
自分が日頃どれだけ多くの命に支えられて生きているか、
どれだけその命に気づかず過ごしてきているか、
命の尊さ、
そういったことを考えました。
このガシラも、胃袋に小さなイワシを飲み込んでいて、
勿論ほかのプランクトンなんかもたくさん食べているわけで、
無限の命をいただいていることになります。
普段私はパックに入っているお肉や、袋に詰められたウインナーなんかをいただいていますが、
それらもひとつひとつ、命があり、育てる人、さばく人がいて、食卓に並ぶということ。
そういったことを考えながら、しっかりいただかなければならないと思います。
熊本県の食肉加工センターに勤務する坂本義喜さんの体験をもとにした、
食と命をテーマにしたお話が「いのちをいただく」という本になっています。
食べるということはどういうことか、生きるということはどういうことか、
考えさせられる本です。
「いのちをいただく」についての記事
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/shoku/plus/post_64.shtml
書籍「いのちをいただく」
http://www.ehonnavi.net/ehon/28990/%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8F/
書籍「いのちをいただく」絵本版(絵本ナビ編集者のレビューつき)
http://www.ehonnavi.net/ehon/91658/%E7%B5%B5%E6%9C%AC%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8F%E3%81%BF%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%8C%E3%81%8A%E8%82%89%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%97%A5/
今日も命をいただき、命を紡げていることに感謝して。
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