青島は、伊根湾の入り江の出口のあたりに浮かぶ無人島で、
波除け・風除けの役割を果たしており、伊根浦で有名な「舟屋」はこのおかげもあって営むことができています。
また、かつての捕鯨や漁業などに大きく関わる島であり、
「恵美須(エビス)さん」も祀られていて、神聖な島とされています。
そのため、少し前までは女人禁制でしたが、
最近になって許可を得て上陸することが許されるようになってきたそうです。
今日はその島に行くということで、かなりどきどきしていました。
地域の人に捕鯨についての歴史を聞き、いざ青島へ!
舟の上は気持ちいいです・・
島へ初上陸。緊張しました。
舟を降り、鳥居をくぐって、島の中へ。
昭和35年以降は伊根湾では鯨漁を行っていませんが、
それまでは伊根湾に鯨を追い込んで漁をしていたようです。
そして伊根の人は、鯨を捕るたび供養をしていたそうです。
今も毎年施餓鬼が行われており、まだ新しい卒塔婆もありました。
墓石の後ろに見える石ころのような物は、鯨の背骨です。
もう少し登ると、広いスペースがありました。
正面に見えるのが恵美須神社です。
昔は手前のスペースで8月に奉納相撲を行っていたそうです。
大人の相撲と、子どもの相撲(花相撲)が行われていた、と地域のおばあちゃんが教えてくださいました。
たくさんの観客で賑わい、海を隔てて陸地の方でもその歓声が聞こえたとか。
でも、おばあちゃんたちは男性だけで行われているその行事に参加できず、
ずっとどんなことが行われているのか全く知らなかったそうです。
青島は椎の木がたくさん生えていて、足元は小さな椎の木の芽がたくさん出ていました。
青島は神聖な場所なので、昔は枯れ枝1本たりともこの島から持ち出してはいけないと言われていたそうです。
椎の実を拾って持って帰ろうかと思いましたが、なにやらあまりよろしくないかもしれないので、元の場所へ置いてきました。
また小さい椎の芽になってるかも。
途中、ギンリョウソウ?を見つけました。
後で調べてみると、ギンリョウソウモドキかもしれないことが分かりました。
ギンリョウソウは春から夏に、ギンリョウソウモドキは夏から秋に咲くそうなので、後者の方かな・・?
似ているけど、異なる種類の植物だということです。詳しい方は教えてください。。。
銀竜草は「西の魔女が死んだ」の中でも出てきます
そしてもう少し進むと、木々の間から突如レンガ造りの小屋のあとが出現しました。
舞鶴湾やその上空が見えるというこの場所には、戦争中は海軍の施設があったそうです。
舞鶴には軍に関わる工場や港があり、そこを狙う敵襲を監視する小屋が、このレンガの小屋です。
屋根は崩れ落ちてもうありません。
悲しい歴史を持つこの建物は、ノスタルジックな雰囲気を抱きながら、今も青島の頂上付近に立っています。
そこを更に進むと、下り坂に入りました。
海軍が作ったのであろう石段も、たくさんの椎の葉に埋もれながらも見えました。
歩いていくと、木々の間から海が見えました。
太陽の光が水面に反射して、キラキラ。
ある人は、この辺の木を切ったら景色がいいのに、と言っておられましたが、
私は木々の間から見える海も好きです。
もうすぐ海辺に着くぞ!って思えて、わくわくします^^
私のふるさと(町内です)もこういう山を下って海へ行くので、その感じと重なるのかも。
そしていよいよ下に着きました!
着いたところは、青島の2つに分かれたちょうどその場所でした。
青島は、養殖などのために島を2つに割ってあります。
体積で言うと10:1くらいになるのかな?
その小さい方を目の前にする形で、山から下りてきました。
以前はこのあたりに「資料館」があったそうです。
漁業にまつわる資料が展示されていたようですが、今は伊根中学校にあるとかないとか、
いや朝妻小学校に一部保管されているとか・・
そしてここはまた、焼き場や、水死した人を弔うお墓?があったそうです。
50年位前までは、伊根では人が亡くなると船でここまで運び、この場所で遺体を焼いておられたそうです。
地元のおばあちゃんはその焼く人を「オンボ」と呼んでおり、
参加者の一人が、「隠亡」と書くのではないかと教えてくださいました。
青島には時々水死した人も漂着したそうです。
この場で弔うのは、明日は我が身かもしれないという漁師さんたちの思いもあったようです。
目の前の島が青島の小さい方です
青島を2つに割ったこの場所では、養殖業が行われる予定でした。
しかし潮の流れがきつく、今は行われていません。
2つをつなぐ橋の上には釣り客が糸をたらしておられ、海を覗くとたくさんの小さな魚がいました。
またこの場所は、魚雷の弾薬庫や、それを海辺へ運ぶレールがあったそうです。
漁業に大きな役割を果たしているこの島はまた、戦争に大きく関わった場所でもありました。
そう思うと胸が痛みます。
青島はそんな歴史をひっそりと抱いているのです。
伊根浦の暮らしに大切な役割を持っている「青島」。
今日はその一部に触れることができ、大変貴重な経験になりました。
帰りの舟にて、耳鼻(ニビ)あたりの舟屋を臨む
さて、次回の「伊根浦ゆっくり観光『わが町歩き』」は、寅さんの舞台となった伊根浦めぐりだそうです。
よろしければ・・。
<伊根浦ゆっくり観光「わが町歩き」>
http://www.town.ine.kyoto.jp/pub_rela/chiikiseibi/shoko_kanko/slowly_Sightseeing/slowly_Sightseeing.html
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